昭和41年03月26日 夜の御理解
御祈念にかからせて頂きます前に、東さんがお届けされました。先生、今日は娘のあきえが大変な広大なおかげを頂きました。近所の子供さんが、こう鎌を振り回して遊んでいる中に飛び込んでいったらしい。ここの所をこうかまれた。それが、もうほんの下だったら目だったというのですね。額口を怪我しただけで広大なおかげを頂きましたと、大難を小難におかげを頂いた。でもどぎゃん思うてもそれだけですまされんという気がしますと、どういう神様の御神意でしょうかとお伺いなりました。
私、丁度ここでお初穂の整理をした後に、親教会のお初穂を整理、させて頂くためにお初穂用紙を出しておったのです。聞かせて頂きながら、私、お初穂に自分の大坪総一郎と書かんならんのに、東嘉昭と書いてしもうとるんですね。そのお初穂袋に、それですぐあのここでは気付けを頂いた事があるのですけども、人間の何が一番大事だというても命ほど大事なものはないですよね。そんなら、その命というのは、命とは何か、命に替わるというが命と同じ物は何かというとですね。
私共の、このお米とか穀物とか着物とかお金とか、これは全部命だ。例えば、あの命をつないでいるものはお米でしょうが。又、命をつないでいるのはこのいうなら着物でしょうがね、だからそれは着物そのものが命なんだ。お米そのものが命なんだ。その命であるところのお米を又は着物をです、いわゆる生きていくうえに一切必要なもの、必要とする為に一番必要なのはお金である、してみるとお金も命だという事になる。
あのお初穂の意義とは、そういう意味なんです。自分の命のお初穂を奉るのです。今日もお生かしのおかげを頂いておるという、だから、一番自分の大事なものをお供えしているわけですね。してみると、東さんあんたが、あきえさんが、これはお初穂が一番ばいと、私はいうた。だから今日はあきえさんと、あんたがつをしておくけんで、この次のをしとかんのというて、そのお初穂袋を渡した事でしたけどね。本当にあの例えば本当に、これは私は東さんだから申しました。
他の者なら神様もいうて下さらんかもしれん。けれども、たとえ日頃は東嘉昭として百円なら百円の御初穂をお供えさせて頂いているならです、一つ改まってです、子供が大難を小難におかげ頂きまして有難とうございます。それはどういうお気付きか分かりません。どういう事の為に、こういう事が起こったのかも意味は分かりません。それは凡夫でございますから、分かりませんけれども、私の一番大事なものを神様に奉ってお礼なりお詫びなりさせて頂くという事ですから。
これがやっぱり決め手だという事が分かるですね。だから御初穂の意義とはそんなもんです。そこにですね、例えていうならば本当に、これはただお気付け頂いたとかおかげ頂いたとかですまされん。すまされん事を、なら自分の一番大事なものをもって、私には分かりません。凡夫でございますから、お気付けやら大難を小難でおかげ頂いたのやら分かりませんけども、私の一番大事なものを奉って、お礼なりお詫びなりをさせて頂くというところに、そこに一切が、こう消えていくという感じが致しますですね。
どうぞ。